JFシェルナース

貝殻を充填したメッシュパイプを組み立てて作られた魚礁「JFシェルナース」は、リサイクルの推進に繋がると共に、微生物やさまざまな小型動物の生育の場を供給し、里海の創出と生物多様性の向上に貢献します。また貝殻の持つ生物増殖機能が漁場の水産環境整備に寄与します。JFシェルナースの開発・製造の他、魚礁漁場調査を行う海洋建設株式会社。

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トップ > スタッフのつぶやき > 2006年 > 2月号

 Weekly Column.4  【2006.02.24】
   私は美味しいものを食べるのが大好き。でも結婚してほぼ毎日食事をつくる立場になると、自分の料理の味付にはあきてしまい(そんなに大したものは食ってないという声が聞こえてきそうだが)、やはり外食がとても楽しみだ。自分でつくらなくて良い + 人が作ってくれる、というダブルの嬉しさ。そこまでに味にうるさいという訳でもないので大体何でも美味しくいただけるのだが、やはり私なりのランク付けがある。その基準はとても簡単で、もう一度ここに食べに来よう!と思わせてくれる場所が、ミシュランでいえば☆5つ、なのだ。最近だとそれはお肉屋さんのあげたてのコロッケであったり、地元広島キャベツたっぷりのお好み焼きであったり、山奥で偶然発見した店の地鶏鍋であったり、昔ながらの洋食屋のオムライスであったり、牧場しぼりたてソフトクリームであったりする。(ちなみに美味しいものを食べているとき、私は自然に目をつむっていることが多い。幸せをかみしめているのだ。)
   しかし今、一番美味しいものはと聞かれたら、それはやはり母親の作ってくれる食事だなあ、と思う。
   何十年も家族のために毎日毎日、考えてみるととても大変なことだっただろうと思う。たまには手抜きをしたり休みたい日もあったにちがいないが、祖父母と同居していた私の母はそれが許されなかったのだろう。食事がでてくるのをあたりまえのことだと思っていた私は、恥ずかしいことだが親元をはなれ、同じ道を歩みだした今頃になって、初めてそのことに対しての感謝の気持ちがわいてきた。今週末実家に帰って、久しぶりに母の料理を食べるのがとても楽しみだ。そのときには「お母さんの作ってくれる料理はいつも美味しいよ」と伝えようと思う。

 Weekly Column.3  【2006.02.17】
   先日電子ピアノを衝動買いしてしまった。実家をはなれて早2年、音楽が大好きな私がずっとずっとほしかったものの1つだったのだが、実家に帰れば20年選手のアップライトがあるわけだし、けっして安い買い物ではないし。もったいないよなあ・・・と二の足をふんでいたのだ。でもカラオケ友達も遠く離れてしまい、最近少々音楽欲求不満気味だったそんなときに「今だけ○○○○○円〜、しかも台無料!」を目にし、飛びついてしまったというわけなのだ。明後日届くピアノ、楽しみだなあ。イヤホンつけて演奏できるからアパートでも大丈夫さ。めっきり人の名前や物事を忘れっぽくなったと感じる三十路半ばの今日この頃、指の運動は適度に私の衰えた脳を刺激してくれることだろう。ちなみに実家の母が、最近五十の手習いでピアノを習い始めて楽しくてたまらないらしい。これで実家のぼろピアノも救われることであろう。(ついでにほこりをかぶっているアコギも誰か何とかしてくれないかしら)
   さて次のお目当ては結婚前にやっていたゴスペル。前通っていた教室はだんだん人が少なくなって、最後には私1人になってしまったという、これまた切ない話がある。同じ教室のおじちゃんに「あんたは声がでかいけえ気持ちがええかもしれんけど、わしはあんたのせいで、自分の声もよう聞こえんのんじゃ。つまらんけえやめる(広島県西部弁)」って言われたけど、声がでかいのはそんなに罪なのか?児島周辺で教えてくれる場所をご存知の方、私に御一報を!(まじで)

 Weekly Column.2  【2006.02.10】
   突然だが、私は英文が書かれた服をあまり着ない。それはなぜか。
   私の実家から車で20分ほどのところに米軍基地があり、様々な理由でたまに訪れることがある。
   中学生の時には「サムライ」という名前のチームと私の所属する部が交流試合をした。(その時アメリカ人は皆バレーボールが上手だという私の先入観はくずれさった。)大学時代には周辺の店で遊んでたし、友達の彼がいたので週末キャンプやクリスマスなどの行事に参加したり、(ちなみにその彼の趣味は「ハンティング(狩)」で、訳のわからん肉など食べさせられた。)結婚式ではベース内の教会で友達のブライドメイドになった。(とても食べ物とは思えない色のケーキを食べた)例のテロがあったときはヘリが一日中空を飛び、周辺がものものしい警備でゲート周辺が混雑していたのをよく覚えている。などなど思い出は結構ある。(ちなみに英会話はできない。アメリカから帰ってきた友達の子供に、一生懸命つたない英語で話しかけたところ「この人の言ってること全然分からないよ」と流暢な日本語で返されたというせつないネタもある。)
   さて基地内には、日本を意識した少しばかり笑ってしまうネーミングのTOMODACHI CLUB(トモダチクラブ)やSOBA SHOP(ソバショップ)、SAKURA THEATER(サクラシアター)などの施設がある。現在友達が住んでいる建物はBARA TOWER(バラタワー)だし、上官の住む一戸建の表札は、なんと子供の背位の真っ赤な鳥居なのだ。(ちなみに毎年5月5日にはFriendship Dayという基地開放イベントがあるので興味のある方はどうぞ。)そして私の目にとまるのは「一番!」や「宮島!」などとプリントされた達筆Tシャツ。クールだろ?と着こなしている彼らをみるのは微笑ましくもあり、どこかいたましくもある。しかしある夏の日、逆のことが起こった。私が着ていた英文字ロゴTシャツを見た瞬間、友達の彼が爆笑したのだ。訳を聞いても笑いが収まらないらしく答えてくれない。結局その時の意味は忘れてしまったが、彼曰く「日本の店に行くと色々な勘違い英語が目にとびこんで、おかしくてたまらない」とのことだった。日本人が感じることは当然米国人も感じるわけで、前置きが長くなったが、そんな痛い経験から私は英文が書かれた服をあまり着ないのだ。

 Weekly Column.1  【2006.02.03】
   皆さんはライブ等イベント以外で、いわゆる芸能人に会った(みた?)ことがおありだろうか。首都圏に住む友人や、関西のアパレルショップに勤める弟は街中や、お客様としてたま〜に出くわす機会があるという。私はといえばそういう経験は全くない。が、「あの時のあの人は実は芸能人だったのね〜」という経験はある。
   あれはある初夏のこと。山梨県で開催されたバイクトライアルに主人が参加したときのことだ。4、5人の班に分かれて、山中の何箇所かに設定してあるコース(小川を越えたり急斜面をのぼったり)を楽しむというイベント。主人と同じチームに、背が高くて顔のちっちゃい若い男性がいた。主人は彼とこんな会話を交わしたそうだ。○主「何の仕事をしているの?」○彼「いやあ、モデルみたいなことを。○○○ノ○ノ(某有名男性ファッション誌)の表紙にもなったんですけどね、自分で言うくらいだから売れてないんっすよ(笑)」
   主人、後日談によると、「いやあ、バイクの筋もいいしいい若者だったよ。有名になればいいね。」とのことだった。そのとき一緒だった私の友達も、彼の芸能人オーラに全く気付かなかったという。(でていなかったのか、故意に消していたのかは定かではないが)
   さて半年後、そのときの写真を送ろうとして、書かれた名前の1つに釘付けになった。○私「ちょっと、あの芸能人と同姓同名だよ。」半信半疑でネットで調べてみると、手元にある写真の彼はまさに、私たちがイベント前月に観た映画の、主演男優だったのだ。(インフルエンザ用のようなマスク着用のヒーロー(主題歌はU・H)、大分前女優H・Rとの交際で週刊誌をにぎわした彼)ミーハ-な主人が「○○○くんは△ャ△ャー△なの?」という手紙を同封したが当然何の音沙汰もなく、あれ依頼某ビールのCM(ミュージシャンS・M共演)でしか彼をみてない。今となっては我が家にある生写真と直筆サイン(?)の値が上がるよう、今後の彼の活躍を祈るのみである。
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