Weekly Column 【2007.12.28】 |
今年ももう最後。締め括りですよ。このコラムがあがる日はまあ大体の人が仕事納めではとか想像しながら書いてます。今年1年、ごくろうさん。一応振り返ってみると永い長い1年。365日って。時間に直すと、1日24時間だから8,760時間。一般的に1日の睡眠時間を6時間と仮定してみよう。すると2,190時間は寝てる計算だ。めちゃ寝てるやん!と感じちゃうな。「どんだけ〜」とか流行った言葉を使った方がよかった。ま、今回の話は睡眠時間ではなくて起きてる時間の方だ。睡眠時間はまた今度。
さて、話を戻して、6,570時間は起きてることになる。意識があり頭が働いてるってことだ。また、単純計算でいいから、自分の年齢を掛けてみよう。もう大変な数字です。まあまあこの1年、なにしてたか全部憶えてる人、手〜挙げて〜。はい。みんな、手の挙がりが悪いぞ〜?って、挙げれない人が大半であろう。なぜなんだろうね。調べるとたぶん色々な話がでるが、適当に割愛し、注目したいポイントとして、「頭の中から情報がなくなっていく」のか「頭の中から情報を引き出してこれない」のかということ。
私が思うのには、意識が働いてて五感が動いてるときって、頭の中にその情報は入るわけだから記憶(記録)はされていってるよね。頭の中で録画ボタンを切り替えてる人はいないはず。つまり、起きてる最中は録画しっぱなし。こうきくと、すぐに容量いっぱいやん!どうする?上書きしていく?とか思うかな。でも、ちょっと待てよ。何かのきっかけで思い出すことってあるよね。全然の思い出せるはずの無かったことや、めちゃ小さい頃のこととか。また、忘れたい記憶があっても忘れられなかったり、また、その逆もあったりとか、なり不確かなもんだぞ。走馬灯という言葉は、死に際に今までのことが脳裏に甦ってくることのようで、ちゃんと使われている。何が言いたいかというと1度入った記憶(情報)はどっかに格納されてるってことだ。そう、「頭の中から情報はなくなっていかない」ということ。
今折り返し地点。じゃあ、つまるところ「忘れる」とか「思い出せない」のは「頭の中から情報を引き出せてこれない」てこと。自分の記憶を引き出す技術が乏しいってこと。や、鍛えていないという方があってるかな。書棚や箪笥にすっきり整理ができる人と出来ない人の差は鍛えてるかどうか、訓練してるかどうかと思います。ある情報があったとして、その情報のタイトルや見出しがつけれない。つけれないから、どこにしまえばいいか判らない。結果どこかに埋もれて、探すことも出来ない。これだ。図書館やレンタルビデオ屋のようにジャンル別に、タイトル別にといった風にインデックス整理しておけばいい。
そうは言っても、言うに易し、行うに難しである。それを助ける道具として、日記や手帳がある。これらを利用することによって、記憶は甦り易くなる。頭の中から引き出せる。
たらたらと書いてるけど、人は、憶えてるんだ。「忘れた」なんて瞬間の状態をいってるだけで思い出そうとしていないだけ、技を知らないだけ、訓練していないだけ。断っておくけど、それが悪いなんてことではないです。ただ、この1年で、起きてる時間がすごいたくさんあって、自分のしたいことが出来た?充実してた?と振り返るに十分な力を人は持ってるのではないかと。来年1年がやってきます。今よりも更に素晴らしい時間を過ごせるように、ファイトで〜す!どうせ録画しっぱなしなんだから面白いことやり続けれたら、どこ思い出しても、引き出しても思い出し笑いじゃん。
じゃ、こんなとこで。良き年に。
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