貝殻を充填したメッシュパイプを組み立てて作られた魚礁「JFシェルナース」は、リサイクルの推進に繋がると共に、微生物やさまざまな小型動物の生育の場を供給し、里海の創出と生物多様性の向上に貢献します。また貝殻の持つ生物増殖機能が漁場の水産環境整備に寄与します。JFシェルナースの開発・製造の他、魚礁漁場調査を行う海洋建設株式会社。
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2003年
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Weekly Column.5
【2003.10.31】
【晩 酌】
夏の健康診断の結果、肝機能の値が良くないと医者から通告されています。結婚する前は、飲み会等があれば飲む程度で晩酌はしていませんでした。27歳で結婚して以来、24年間、殆ど毎日晩酌をしています。「今日は焼酎がうまい」と感じる日もあれば、「惰性」で焼酎を飲む習慣になっている時もあります。今は毎晩、缶ビール350mlを2缶と焼酎1合をお湯割で飲んでいます。演歌で「親父みたいな酒飲みなどにならぬつもりがなっていた」とありましたが、親父も晩酌がなにより生きがいでした。それをみていて「俺は飲まないぞー。」と思っていたのですが、何故か私も、生きがいになっていました。
大分では、晩酌のことをヤツガイと云っています。今の季節は、晩酌の肴は太刀魚の刺身が最高です。その日に釣れた太刀魚をサシミにして、その上にねぎを散らし、カボスしょうゆをかけて出来上がり。おいしいですょー。やはり晩酌はやめられない。
Weekly Column.4
【2003.10.24】
【なつかしい味】
私は、昭和27年生れですので団塊の世代の後になります。本当に物がなかったり、食べ物がないような時代ではありません。「戦争をしらない子供たち」です。ただ、家庭環境は、とても裕福とはいえなかった。山間部の棚田で、3反余りの米作りとシイタケ栽培が主な生活の糧でした。
そんな中で、28年前、他界した母親が子供の頃、誕生日とか特別な日に作っていた「カレーライス」。現在のようなカレーのルーがなくて、カレー粉と粘りを出すのに片栗粉を使用していたと記憶していますが、それがなかなか粘りがなくてサラッとした感じに仕上がっていた。他の人が食べたらまずい物だと思いますが、出来ればもう一度あの味に出会いたい。これを読まれている方も、きっとこんな味の記憶があるのではないでしょうか。
今の季節で昔なつかしい味は、大根を育てる際、間引いた大根、葉と大根の長さが5cmぐらいの漬物です。
Weekly Column.3
【2003.10.17】
【タブチ君バンザーイ】
子供の頃の野球中継は、巨人戦のみ。それも中継の時は、「一部の地域を除きこのまま野球中継を続けます」と字幕スーパーがでる。その一部の地域だった。だから、私の周りには、「巨人ファン」ばかりだった。それなのに何故か関西の「阪神ファン」になっていた。
巨人のV9時代の最後の年、阪神は田渕と江夏のゴールデンコンビ。今年は、優勝するだろうと思っていた。そして、優勝まであと1勝、引分けでも良かった。相手は消化試合それを0−10で負けた。「ダメ虎」だ。
いつの時代か「タブチくん」というマンガがあった。タブチくんは、いい所までいくが、肝心な所で期待を裏切る。それでも憎めない。阪神タイガース球団を投影していた。そして、田渕は阪神タイガースを追われた。
昨年、田渕は同期の星野監督のもとで打撃チーフコーチとして阪神へ戻ってきた。「阪神ファン」の私としては、本当にうまくやっていけるのかなと心配して見守っていたが、今年みごとにリーグ優勝を果たした。田渕は星野監督と同期でありながら、その立場に徹して、風ぼうとは異なり、ち密に そして情熱的に選手を指導する姿を映像で拝見して、これこそ本当の「タブチくん」だなと感激している。私の本当の夢は、「田渕阪神監督」で、阪神の黄金時代を築くことである。コーチは、掛布と岡田。無理だろうか。
Weekly Column.2
【2003.10.10】
【素材を生かす】
子供のころ、5月の連休前後になると「家庭訪問」があった。私の家は古いので、先生が家に来るのがとても恥ずかしかった。
妻を初めて家に連れて行くのも、あっちに寄ったり こっちに寄ったりでなかなか家までたどりつかなかった。今では「初めて家に行った時は、随分時間がかかったなぁー」という。
昨年父も亡くなり、築100年以上たった家を解体する目的で、解体屋と古い家の移築をする人を家に連れて行った。
古い家の移築をする人が、「これは、とちょった方がいいでー」といった。
(これは残した方がいいですよ)
私が「家を継がない」のが分かって、親父は何も手を加えずほぼ昔のままにしていた。
(リフォームをしなかった。)
あれほど「古い家」が恥ずかしかったのに、そぅ言う見方もあるのかと感心した。解体するのはやめて、もう少し時間をかけて何かいい方法がないか検討することにした。
Weekly Column.1
【2003.10.03】
【環境の変化】
私が生まれたのは、九州の大分。院内町という内陸気候の山間部、それも標高500mという山の上です。小学校(本校)へは、山道を歩いて6キロ、時間にして2時間前後かかった。だから小学校1,2年生は、分校へ通った。それでも4キロあった。
冬のなると、よく雪が降った。「雪で学校が休みになる」 私は、雪が降るのを楽しみにしていた。最近、田舎へ帰ると近所の老婆が、「近頃の冬は、雪がすくねぇー」という。
それから秋には、「山芋」をよく掘った。(子供のころ)最近も時々山に入るが、人間より先にイノシシが、山芋を掘った跡があっちこっちある。田んぼの周りには、昔はなかった弱電流を流す電線を張り巡らせている。穀物を荒らすイノシシ対策だ。過疎化で人間が減り、イノシシが増えた。