JFシェルナース
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貝殻で作られた魚礁「JFシェルナース」により、貝殻が微生物や小型動物の棲みかとなり魚を育て、海を育みます。海のものを海に戻す、これぞ大自然の法則。

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   創刊から早くも4年、シェルナースNEWSも第9号となりました。
   今号から水産関係で著名な方にコラムを書いて頂こうという新企画を立ち上げました。記念すべき第一時限目は財団法人 漁港漁場漁村技術研究所 技術委員 柿元晧先生に人工魚礁についてコラムを書いて頂きました。
「人工魚礁の祖形」

   現在沿岸漁業振興施策の一環として全国的に実施されている人工魚礁技術が、いつ頃、どのようにして始められたのであろうか…?古い資料や現在の漁法などから考えてみよう。
   人類が二足歩行を始めた頃、彼らは山野で木の実を探し、川や海岸で石をはぐってそこに隠れている貝、カニ、運がよければウナギなどを獲っていたのであろう。そのうちに自ら石を積み漁獲するようになったと考えられるが、それらの経験的な技術は、「石塚」、「石倉」、「石室」、「屋塚」などの名で、現在も全国の河川のみならず、海域でも投石、石詰礁などとして使用されてきた。また、石に代わって柴を沈めた「柴漬け」は昭和20年頃にも多くの河川、湖沼で操業されているのを筆者は見ている。

写真1 石塚(水俣市水俣川)
(山口晧氏写)

   新潟県山北町の大川では、川に石を積み、岸に杭を打って生木を結びつけた「こど」と称する施設が現在でも利用されている。母川回帰して大川を遡上するサケは「こど」によって形成される光学的陰影と流れの緩流部において一時的に休息する。それを木の陰から「かぎ」で引っかけて捕獲する、サケの河川遡上時の行動生態を上手く利用した漁法である。
   鳥取市の湖山池には、フナなどの漁獲を目的とした現に有効な状態の「石釜」が残っている。幅約8m、長さ約10m、高さ2〜3m程度で、およそ50cm水面上に出ている。湖底から石垣のように積み上げ、沖側から奥端の魚捕部まで届く魚道が作られ、石釜の上面には魚を魚捕部に竿で追いのやるための突穴が設けられている。また魚群誘導のための転石が沖側に向かって沈設され、あたかも石垣で造成した定置網のような構造で、明治時代には定置漁業免許を受けている。幕末期には湖山池全体で90基程度があって、その時代としては収入割合の大きい有効な漁法であった。現在各地で利用されている多くの副漁具や漁具の中には、「しいら漬け」、「うなぎ筒」、「タコ壺」、「いか篭」など、魚を集めたり、漁獲するものが多く見られる。

写真2 こど漁(新潟県山北町)



写真3 石釜(鳥取市湖山池)

   以上のように往時から利用されてきた多くの伝統的な副漁具や漁具は、水中に置いた柴や石などによって形成される光学的、流体力学的陰影などに、隠れたり、産卵したり、あるいはそれに蝟集した餌を求めて魚類が集る生態的特性を利用して、特定な所に蝟集せしめたり、誘導したりする技術である。それらは漬けや石塚などのようにそのままの形で今なお利用されているものも、定置網のように改良を重ねて近代的な漁具となっているものもある。このようなことから往時の人たちの経験と知恵によって創作され、現代に継承されてきたこれらの伝統的な漁具漁法が、現在の人工魚礁の祖型であると考えられている。

図4 石釜(鳥取市湖山池)
(田中1990)

柿 元   晧(財団法人 漁港漁場漁村技術研究所 技術委員)

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